เข้าสู่ระบบ「おや。シンデレラの魔法は、もう解けちゃったのかな?」
背後から、歌うような、それでいてどこか粘り気のある男の声が鼓膜を震わせた。 ビクリと肩が跳ねる。 誰かに見られた。 慌ててヒールを履き直そうとして、バランスを崩した私の身体が大きく傾く。「わっ、と……!」「おっと、危ない」 コンクリートの床に叩きつけられると身構えた瞬間、伸びてきた腕がふわりと私を受け止めた。 湊の、あの拘束するような力強い腕とは違う。 もっと柔らかく、まるで壊れ物を扱うように繊細で、女性の扱いに慣れきったスマートな手つきだった。 鼻をくすぐったのは、甘いバニラの香りと、残り香のような煙草の匂いが混じり合った、退廃的な香り。「……大丈夫? 無理して履かなくていいよ。痛いんでしょう?」 顔を上げると、驚くほど近くに端正な顔があった。 茶色がかった髪を無造作に遊ばせ、切れ長の瞳が優しげに弧を描いている。造作は湊によく似ているのに、彼のような人を寄せ付けない威圧感はない。代わりに、人懐っこい犬のような、あるいは甘い蜜で虫を誘う毒花のような、危険な愛嬌が漂っていた。「……ありがとうございます。あの、あなたは……?」 私は体勢を立て直し、乱れた髪を直しながら少し距離を取った。 この会場にいるということは、かなりのVIPなのだろうか。「九龍征司(せいじ)。……さっき挨拶に来た、剛造の息子だよ」「征司、様……」 喉の奥で息を呑む。 湊のライバル。九龍家の次期当主の座を虎視眈々と狙う、もう一人の候補者。 そして、湊からかつて「大切なもの」を奪ったという因縁の男。 私は反射的に身体を強張らせ、一歩後ろへ下がった。「はは、そんなに警戒しないでよ。僕は親父みたいな古狸じゃないし、湊みたいな堅物でもないからさ」 征司は、私の警戒心などお見通しだと言わんばかりに、両手「おや。シンデレラの魔法は、もう解けちゃったのかな?」 背後から、歌うような、それでいてどこか粘り気のある男の声が鼓膜を震わせた。 ビクリと肩が跳ねる。 誰かに見られた。 慌ててヒールを履き直そうとして、バランスを崩した私の身体が大きく傾く。「わっ、と……!」「おっと、危ない」 コンクリートの床に叩きつけられると身構えた瞬間、伸びてきた腕がふわりと私を受け止めた。 湊の、あの拘束するような力強い腕とは違う。 もっと柔らかく、まるで壊れ物を扱うように繊細で、女性の扱いに慣れきったスマートな手つきだった。 鼻をくすぐったのは、甘いバニラの香りと、残り香のような煙草の匂いが混じり合った、退廃的な香り。「……大丈夫? 無理して履かなくていいよ。痛いんでしょう?」 顔を上げると、驚くほど近くに端正な顔があった。 茶色がかった髪を無造作に遊ばせ、切れ長の瞳が優しげに弧を描いている。造作は湊によく似ているのに、彼のような人を寄せ付けない威圧感はない。代わりに、人懐っこい犬のような、あるいは甘い蜜で虫を誘う毒花のような、危険な愛嬌が漂っていた。「……ありがとうございます。あの、あなたは……?」 私は体勢を立て直し、乱れた髪を直しながら少し距離を取った。 この会場にいるということは、かなりのVIPなのだろうか。「九龍征司(せいじ)。……さっき挨拶に来た、剛造の息子だよ」「征司、様……」 喉の奥で息を呑む。 湊のライバル。九龍家の次期当主の座を虎視眈々と狙う、もう一人の候補者。 そして、湊からかつて「大切なもの」を奪ったという因縁の男。 私は反射的に身体を強張らせ、一歩後ろへ下がった。「はは、そんなに警戒しないでよ。僕は親父みたいな古狸じゃないし、湊みたいな堅物でもないからさ」 征司は、私の警戒心などお見通しだと言わんばかりに、両手
宴の熱気は、まだ会場のあちこちに澱(おり)のように残っていた。 急遽変更した立食形式のパーティー――「ピンチョス・スタイル」への転換は、私の予想を超えてうまくいったようだ。 去りゆく招待客たちが口にする「素晴らしい機転だ」「九龍家の新しい風を感じた」という賛辞が、さざ波のように耳に届く。 けれど、その言葉は私の胸を素通りして、どこか遠い場所へ消えていくようだった。 会場の出口では、湊が主催者としてゲスト一人ひとりを見送っている。 手入れの行き届いたスーツを隙なく着こなし、優雅に頭を下げるその横顔は、まさしく「若き帝王」のそれだ。自信に満ち、冷ややかなほどに美しい。 ついさっきまで私の隣にいた時の、あの少しだけ肩の力が抜けた、人間味のある湊はもうどこにもいなかった。 魔法が解けたみたいに、彼はふたたび雲の上の人へと戻ってしまったのだ。「……はぁ」 私は人目を盗むようにして、会場の隅にあるテラスへのガラス戸を押し開けた。 夜の湿り気を帯びた風が、火照った頬を撫でていく。 途端に、堰を切ったように泥のような疲れが全身にのしかかってきた。 張りつめていた緊張の糸が、ぷつりと切れたせいかもしれない。あるいは、履き慣れないハイヒールで走り回った代償だろうか。足の裏が脈打つように熱を持ち、ジンジンと痺れるような痛みを訴えている。 手すりに身体を預け、眼下に広がる夜景を見下ろした。 ここから見える東京の街は、誰かが宝石箱をひっくり返したみたいに輝いている。さっきまで私が会場で演出していた「偽物の宝石箱」とは違う、残酷なほどに美しい本物の光だ。(……終わったんだ) なんとか、守りきった。 湊の顔も、ホテルの信用も。 でも、胸の奥には風が吹き抜けるような穴が空いたままだ。 パーティーの最中、湊はたしかに私を見て「ありがとう」と言ってくれた。あの瞬間、ほんの一秒だけ、私たちの間に通うものがあった気がした。 けれど、ゲストの見送りが始まった途端、彼の瞳から私の姿は消えた。 まるで
会場の喧騒の中、呆然と立ち尽くしている二つの影があった。 九龍剛造と、綾辻麗華だ。 剛造はグラスを持ったまま彫像のように固まり、麗華に至っては、能面のように表情を失っている。 彼女たちが描いた「九龍家の没落」というシナリオは、私の「宝石箱」によって、跡形もなく粉砕されたのだ。 ざまあみろ。 心の中で舌を出してやる。 その時。 人垣がさざ波のように割れ、一人の人物がこちらへ近づいてくるのが見えた。 コツ、コツ、と杖をつく音が、不思議なほど鮮明に響く。 九龍華枝だ。 小柄な老婆は、私の目の前でぴたりと足を止めた。 その鋭い眼光が、私を射抜くように見据える。 隣で湊が身構え、私の手を守るように握りしめたのがわかった。 華枝は何も言わず、近くのワゴンからピンチョスを一つ――スモークサーモンのバラを手に取った。 そして、ゆっくりと口に運ぶ。 長い、長い沈黙。 誰かが息を呑む音が、鼓膜を打つ。 やがて、華枝はナプキンで口元を丁寧に拭うと、私を見た。「……あり合わせの食材。庭の草花。そして、急場しのぎの演出」 淡々とした声で、事実だけが並べられる。 背筋が凍りつく。 バレている。当然だ。この人の目を誤魔化せるはずがない。 怒られるだろうか。九龍家の品位を下げたと、ここで罵られるだろうか。 けれど、華枝の口から出た言葉は、予想もしないものだった。「……だが、悪くない」「え……?」「ピンチを好機に変える機転。そして何より、客を楽しませようというもてなしの心意気。……それが、この皿の上には確かにある」 華枝の厳格な口元が、ほんの微かに緩んだように見えた。 あの「お茶会」の時と同じ。いや、それ以上に明確な、肯定の色。「度胸だけはあるようだね。……茅野朱里」「……
宝石のように輝く、無数の料理たち。 黒いスレート皿の上で、フォアグラと琥珀色のイチジクが金色のピックに刺さり、キャンドルの光を吸い込んで艶やかに光っている。 焼きたてのバゲットの上には、彩り豊かな野菜のムースや、新鮮な魚介が踊るように盛り付けられている。 そして、それらの隙間を埋め尽くすのは、瑞々しいアイビーの深緑と、紫陽花の鮮烈な青や紫。 まるで、テーブルの上に小さな森が出現したかのような、圧倒的な生命力と美しさだった。「おお……!」「なんて美しいんだ……」 ゲストたちの間から、ため息のような感嘆の声が漏れる。 本来なら「料理が間に合わなかった」という致命的な失態であるはずの光景が、今は「計算され尽くした演出」として、驚きを持って受け入れられている。「どうぞ、お手に取ってご覧ください。……私の婚約者が、皆様のために心を込めてコーディネートいたしました」 湊が、会場の隅に控えていた私に向かって、ゆっくりと手を差し伸べた。 スポットライトが動き、私を照らし出す。 エプロンはもう外した。髪の乱れも直した。 私は深く息を吸い込み、完璧な「淑女の微笑み」を唇に乗せて、彼のもとへと歩み出した。 心臓が早鐘を打っている。 でも、足取りは乱さない。 私は湊の隣に立ち、差し出された彼の腕にそっと手を添えた。 スーツ越しに伝わる筋肉が、岩のように硬く強張っている。彼もまた、平然とした顔の下で、ギリギリの戦いをしていたのだ。「……皆様。限られた時間ではございますが、この空間と、この瞬間を、心ゆくまでお楽しみくださいませ」 私が深く一礼すると、会場中から割れんばかりの拍手が湧き起こった。「素晴らしい! こんなお洒落な演出は初めてだ!」「コース料理だと座りっぱなしで疲れるけれど、これなら色々な方と話せるわね」「このフォアグラ、絶品だ! シャンパンによく合う!」 称賛の声が、あちこちで花開く。
むっとするような、雨上がりの土の匂いが鼻孔をくすぐる。 私は躊躇なく、庭師が手入れしたばかりのハーブや、色づき始めた紫陽花、そして地面を這うアイビーの蔓に手を伸ばした。 少しだけ、命を分けて。 ドレスの裾が泥で汚れるのも構わず、私は手当たり次第に「使える」植物をむしり取っていく。 指先に触れる冷たい植物の感触が、ふいに昨日の記憶を呼び覚ました。 温室で、湊に向けられた冷たい視線。『僕の目の前から消えろ』という拒絶の声。 胸の奥が、ずきりと痛む。 でも、今は感傷に浸っている場合じゃない。 彼が守ろうとしているこのホテルを、九龍家の誇りを、私が守るんだ。 それが、私ができる唯一のこと。プロとしての意地であり、彼へのせめてもの償いなのだから。 抱えきれないほどの緑と花を持ってバックヤードに戻ると、スタッフたちがぎょっとして目を丸くした。「か、茅野様、それは……?」「お皿の余白を埋めるの。料理の周りにアイビーを這わせて。紫陽花は花びらを散らして、水滴がついたままの方がフレッシュに見えるわ! ……これは『自然との調和』をテーマにした、新しいスタイルのビュッフェよ」 私の言葉に、スタッフたちが力強く頷く。 迷いは消えていた。 全員が、「この夜を成功させる」という一つの熱狂に向かって、全速力で走り出していた。 ◇ そして、その時が来た。 会場の照明が、ふっと落とされる。 ざわめきが波のように広がる中、スタッフの手によって無数のキャンドルに火が灯されていく。 揺らめく炎が、会場を柔らかく、幻想的なオレンジ色に染め上げた。 明るすぎて粗が見えてしまう蛍光灯の光ではなく、すべてを美しく、ロマンティックに包み込む夕暮れ時の光。 重厚な扉が、ゆっくりと左右に開かれる。「皆様、本日はようこそお越しくださいました」 マイクを通した湊の声が、静まり返った会場に響いた。 ステージの中央に立つ彼は、計算されたスポットライトを浴びていた
エプロンのポケットで、スマホが短く震えた。 画面には「詩織」の文字。『朱里、あんた今どこ? テレビでそのホテルの近くで事故があったってニュースやってるけど』 ――これだ。 私は祈るような指先で通話ボタンを押し、耳に当てた。「お姉ちゃん! お願い、助けて! 今すぐパンが必要なの!」『はあ? あんた何言ってんの。人が心配してる時に』「緊急事態なの。今、ホテルのパーティーでトラブルがあって、あと二十分でバゲットかクラッカーを三百人分、用意しなきゃいけないの。お姉ちゃん、区役所の産業振興課にいたでしょ? この辺りで、この時間に無理を聞いてくれる業務用卸のパン屋さん、知らない!?」 電話の向こうで、姉が息を呑む気配がした。 ほんの数秒の沈黙。だが、私の姉は優秀だ。瞬時に「呆れた姉」から「冷徹な公務員」へとモードを切り替えたのが、声のトーンでわかった。『……場所はインペリアル・ドラゴンね。あそこの裏手、桜通りの一本裏に、老舗の「ベーカリー・ミヤマ」がある。区のイベントでよく使わせてもらってる店よ。店長とは顔なじみ』「そこ! 今すぐ連絡取れる!?」『やってみる。ちょうど来週の夜間防災訓練の差し入れ用に、大量のバゲットを焼いてもらってたはず。それをそっちに回してもらうように交渉するわ。……その代わり、あとで湊さんにたっぷりと請求書回すからね』「お姉ちゃん、愛してる! 一生恩に着る!」 通話を切り、私は天を仰いで小さく拳を握った。 首の皮一枚で繋がった。 振り返り、総支配人に叫ぶ。「裏口に搬入車を回して! 十分以内に『ベーカリー・ミヤマ』から焼きたてのバゲットが届くはずよ! 到着次第、薄くスライスしてオリーブオイルを塗って!」「は、はいっ! すぐに!」 総支配人が弾かれたように走り出す。 よし、これで「食」の問題は片付いた。 次は――「空間」だ。 私は熱気のこもった厨房を飛び出し、パーティー会場へと続く廊下を走った。 ふと、窓の外に広がる闇が目に入り







